ヒュー・・ジャックマン&デボラ=リー・ファーネス夫妻は正に理想的な形で夫婦になった
私生活では浮いた話が一切なく、家族と過ごす様子が度々キャッチされるなど完璧過ぎる魅力で世界中のファンをとりこにし、人気ハリウッドスターの地位を確立したヒュー・ジャックマンと奥様の馴れ初めと人格をまとめてみました。
世界中の人から愛されている俳優ヒュー・ジャックマンとその奥様
性別関わらず、世界中の人から愛されている俳優ヒュー・ジャックマン。カッコいいルックスや素晴らしい演技だけでなく、人柄の良さがにじみ出ているエピソードは交際当時からあったようです。
ヒュー・ジャックマン
本名 ヒュー・マイケル・ジャックマン
生年月日 1968年10月12日(47歳)
出生地 シドニー
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
活動期間 1994年 -
ーストラリア・ニューサウスウェールズ州の州都であるシドニーで、5人兄弟の末っ子として生まれる。両親は共にイングランドの出身で、父親のクリスはケンブリッジ大学の会計学士を持つ会計士。母親のグレース・ワトソンはヒューが8歳の時に英国に戻り、彼は兄弟と共に父の元に残った。
地元ワールーンガの男子高校ノックス・グラマー・スクールで生徒会長を務めた後、シドニー工科大学でコミュニケーション(ジャーナリズム)学士を取得。大学在学中に卒業認定単位を取得するためにたまたま履修した演劇クラスで演劇の面白さに目覚め俳優を志すことになった
親戚の遺産が入ったことで彼はさらに演技を学ぶためエディス・コーワン大学の西オーストラリア演劇学校に進学、1994年に26歳で卒業した。俳優としてブレイクする前の1987年には、イギリスの学校で体育の補助教員として働いていた
ジャックマンにとって初めてのテレビの仕事だった『コレリ』でオーストラリア人女優デボラ=リー・ファーネス(Deborra-Lee Furness)と出会い1996年4月に結婚。このストーリーは険悪な囚人(ジャックマン)がカウンセラー(デブラ)に恋するというものだった。ジャックマン夫婦は2度の流産を経験しており、現在は養子のオスカー・マクシミラン(男・2000年5月15日生まれ)とアヴァ・エリオット(女・2005年7月10日生まれ)と共にメルボルンに暮らす
デボラ=リー・ファーネス
生年月日: 1955年12月8日 (60歳)
生まれ: オーストラリア シドニー
配偶者: ヒュー・ジャックマン (1996年から)
親: フェイ・ダンカン
オーストラリア出身。米ニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで演技を学び、帰国後はTVドラマに出演
。85年「クロスオーバー・ドリーム」でスクリーンデビュー。豪TVドラマ「Correlli(原題)」(95)で共演したヒュー・ジャックマンと96年に結婚
日本での劇場公開作に「ボイジャー」(91)、「エンジェル・ベイビー」(95)、「ガフールの伝説」(10/声の出演)
オムニバス映画「ロスト・ストーリー 現代の奇妙な物語」(05・日本劇場未公開)の一編「Standing Room Only」で脚本・監督を務めた
ヒュー・ジャックマンは柄の良さがにじみ出ているエピソードが話題
おしどり夫婦として有名。デボラは2度の流産を経験しており、その後夫妻は2人の養子を迎えている
妻デボラへの想いも率直に語っている
ヒュー・ジャックマンより8歳年上の妻デボラ。結婚した当初はヒュー・ジャックマンよりもデボラの方が、女優として活躍していたそう
二人の馴れ初めは
母国オーストラリアのTVの仕事で出会ったが、デボラをセットで紹介されるなりヒューは「この女性と結婚したい!」と思いつめるほど深く恋に落ちたそう
デボラとの関係について
僕らは結婚する前から本当の親友だった。でも、どんな結婚だってある程度の犠牲はつきものだ。夫婦が2人とも自分勝手だったなら、結婚は続かない。お互いに魅力と愛情を持たないといけないよね。僕は1日に10回はデボラに電話する
「ぼくらは週に一度、“デートナイト”を作るように心がけているんだ」と、ヒューはおよそ20年にわたって結婚生活を続けるコツを話している。
僕と出会ったころ、妻はストックブローカーみたいなタイプが好みだと言っていたから、今でもふたりでディナーに出かけるときは、びしっとスーツできめるようにしている
ヒュー・ジャックマンのこのスタイルは幼少期の体験かららしい
幼少期に実の母親が家を出てしまい、兄弟と共に父親に育てられたヒュー。自身が父親になって初めて、母親のことを理解したと語っています
母に家庭を捨てられ、父に育てられたヒュー。「そういう環境から僕は学んだ。誠実であること、信頼性、何があろうと毎日そばにいることの意味をね」
母親が出て行った日の朝のことは覚えているよ。彼女はタオルを頭に巻いた姿で『じゃあね』って言ったんだ。そして僕は学校に行ったんだけど、家に帰ると誰もいなかった。次の日、イギリスから電報が届いて、母がそこにいるのを知った。それきりさ。
母の苦労をヒュー自身が父親になったことで理解できるようになったと語るなど、とても人格者な彼だから素晴らしい家庭がもてたのかもしれません。